海尻宿
海尻宿(長野県南佐久郡南牧村海尻)は
佐久甲州街道の宿場町で
街道沿いには旧家が多く
落ち着いた町並みを随所に残しています
平安時代には八ヶ岳の山麓が崩壊し
形成された堰止め湖(河道閉塞)が
303日後の仁和4年5月8日に決壊し
発生した土石流が原因と考えられる洪水が起こった
大月川に出来た河道閉塞の湛水量は5.8億m3と推定されている
その時にできた湖(海)【南牧湖】のダム部で
海尻言われるようになった
またその決壊時の土砂が善光寺平(長野市)以北まで
到達し多くの人馬建物城が流された
軍事的要衝の地で
戦国時代には海尻城が築かれ村上氏との間で
天文5年(1536)には武田信虎が
天文9年(1540)には武田家臣板垣信方が
侵攻し激戦が繰り広げられています
宿場を思い起こされる建物もいくつか残っています
道祖神も多数存在しています
諏訪神社が川沿いに2つ存在しています
大月川と千曲川の合流地に海尻城址があり
となりに海尻簡易郵便局がありますが
宿場町の入口なり地元の名主の屋敷跡地になります
「♪しらかば あおぞら みなみかぜ …」
って言えば千 昌夫が歌ってヒットした「北国の春」
千 昌夫の故郷岩手県の風景かと想像できるが
実は長野県の風景がモデルになっている
作詞家のいではく氏(本名井出博正)は海尻の出身
千 昌夫が岩手の出身ということで
岩手県の風景をイメージしようとしたが
行ったことがなかったので自分の故郷を思い浮かべたとのこと
おかあさんといっしょ等で有名な
作曲家の山川 啓介氏(やまかわ けいすけ)
日本の作詞家。本名・井出 隆夫(いで たかお)
も出身地(本籍地)です