海ノ口宿
海ノ口宿(長野県南佐久郡南牧村海ノ口)は
佐久甲州街道(佐久甲州脇往還)の宿場町でした
平安時代には八ヶ岳の山麓が崩壊し
形成された堰止め湖(河道閉塞)が
303日後の仁和4年5月8日に決壊し
発生した土石流が原因と考えられる洪水が起こった
大月川に出来た河道閉塞の湛水量は5.8億m3と推定されている
その時にできた湖(海)【南牧湖】の流入部で海ノ口言われるようになった
またその決壊時の土砂が善光寺平(長野市)以北まで
到達し多くの人馬建物城が流された
軍事的要衝の地で戦国時代には海ノ口城が築かれ
天文5年(1536)には武田信虎が侵攻し
激戦が繰り広げられています
城主平賀源心(玄信)は海ノ口城で
武田勢に包囲されるものの一ヶ月あまり防戦し
武田勢を断念させたという
この海ノ口攻めは信虎の嫡子である
晴信(のちの信玄)の初陣であったといわれ
『軍鑑』では晴信の奇策により落城し
玄信は討死したという
武田家の持ち城になると
武田信玄の佐久侵攻の際には陣所に利用されるなど
引き続き重要視されていました
平沢宿との間に野辺山原があり
三里(約12km)の間全くの無人で
ことに厳寒の行旅は旅人にとって極めて厳しい難所であった
平沢峠(佐久甲州街道ー南牧村)と
信州峠(佐久甲州街道の脇往還の峠ー川上村)への
分岐点に当たる