野辺山飛行場
オイラの実家のある
長野県の「野辺山高原」
夏は避暑地として人気です
そしてオイラの実家の裏山に
かつて「野辺山飛行場」がありました
前にブログで書きましたが
「越谷陸軍飛行場」に配備予定の
(詳しい事はあまりわかっていません)
戦闘機の訓練の為の飛行場でした
その戦闘機は秋水(しゅうすい)と言います
太平洋戦争中に日本陸軍と日本海軍が共同で
開発を進めたロケットエンジンの局地戦闘機でした
同盟国のドイツのメッサーシュミットの資料を基に
首都圏等を防衛する為に作られていました
結局完成には至りませんでした
完成していたら新たな特攻兵器になっていたと思います
元々は秋水は特攻兵器として
開発されたものではなかったんですが
秋水の速度が速すぎるために
機銃の照準が困難と分かり
軍のお偉いさんの話し合いの結果
B-29編隊中で爆弾自爆する特攻戦法が採用されました
特攻兵器に決定されるまでは
ロケットでドバァーっと上がり
上昇時と下降時の2回しか攻撃出来なかった飛行機で
燃料を使い果たした後は下降時グライダーの要領で
滑空しながら飛行場に下りてくるものでした
航続距離が短い秋水は
自機が発進した飛行場上空しか防衛できない上
滑空中を敵戦闘機に撃墜されたと予想されるので
特攻兵器に変更されたとも考えられます
その滑空の為にグライダー練習する場所として
陸軍熊谷航空隊と海軍三重航空隊の
野辺山派遣隊「野辺山飛行場」が
大日本帝国陸軍の野辺山演習地にできました
ここで学徒動員された大学生が航空兵の為訓練していました
勉強不足で陸軍熊谷航空隊の人数はわかりません
海軍三重航空隊の1196名の海軍飛行予科練習生と
教官を含む基地要員約百名が
その「野辺山飛行場」で訓練をしていました
現在国立天文台45m電波望遠鏡の
北東にある小山の丸山から
野辺山宇宙電波観測所見学受付の横の
矢出川付近までが飛行場でした
(↑オイラが流されそうになった小川{ブログ})
秋水は実験段階で終わりましたが
昭和 20 年の終戦時までに両軍合わせて
2000 人以上の学徒を戦場に送り出したそうです
その丸山は本当に小さな山で
山と言うより丘と言った方がいい位の標高しかありません
丸山の標高は1364.8mです
数字だけ見れば1300m級の山ですが
近くの有名どころの
野辺山駅の標高は1345.67mですので
標高差約19.13mしかありません
約6階建てマンション位
実物大のガンダム(18m)よりちょっとだけ高い
そんな山です
ちなみにオイラの実家は
35度56分33.00秒 138度28分42.21秒で
標高1340mです
写真右側方面です
隣には45mの宇宙電波望遠鏡がありますから
比較して見るとよくわかります
大きな電波望遠鏡の横
手前のクリアケースに邪魔されて見にくいですが
森になっている所です
子供の頃はオイラの秘密基地があり
野鳥観察や探検ごっこ
たまに山頂に少しだけ開けた草むらで昼寝をして
冬はそり遊びをして
横を流れる小川にはまったり
ツリーハウスを作りったりと
等々数え切れないほどの遊びをしていた場所です
オイラの親に「昔飛行場だったんだってさぁ~」と
聞いた時は
まさかぁ~?あんな低い山からグライダーが
飛び立てるんかなぁ~?っと思っていました
オイラ達子供の遊び場が
戦争遺跡だったなんて思いもしませんでした
それも特攻隊のです
先人たちがこの日本の国の将来を思って
身を投げうつ覚悟で練習をしていた場所だった・・
改めて戦争を考える事ができました
これ以上この日本が戦争をすることの無いように
しっかりと将来を考える事を誓います
そして戦争のない世界になることを祈ります