20年前に生息していた土地(神田 美土代町小川町神保町界隈)

 

オイラが飲食業の世界に入って20年

始めに働いた場所が神田美土代町と神田小川町の境目

フレンチレストランで修業がスタートしました

そこそこ大きなレストランでフレンチレストラン(地下1F)と

結婚式場(2F3F4F)もあるそんなところでした

1年間修業してある程度になったところで神保町にある

ステーキレストランへ移動になり

1年間灼熱の厨房であるとあらゆることをやりました

そこは灼熱っと言う言葉がぴったりな所で

真夏の猛暑日の外のが涼しい位でよく猛暑の中涼んでいました

 

毎日本店(フレンチ)とステーキレストランとの間を業務用自転車で

小川町の町中を朝夕2回食材やグロッサリーを運び疾走していました

はっきり言ってもう庭みたいなもんでした(

3年目にまた本店(フレンチ)に帰ってきました

その後は原宿・浅草等で働きカナディアンロッキーに戻ってきました

 

 

そんな神田美土代町小川町神保町界隈を久しぶりに散策してきました

たびたび小川町神保町界隈は訪れていましたが

ここ最近はご無沙汰していました

結構飲食店が増え事務所や倉庫関係が減っていますね

あと古いビルや建物が壊されて大きなビルや

駐車場になっていたりしていました

やはり20年っと言う歳月は街を変えていくんですね

 

 

 

 

 

 

20年前・・・・ちょうど地下鉄サリン事件があった時です

亡くなられた方のお悔やみを申し上げます

 

オイラはバイト先のスキー場で事件の一報を聞きました

パトロールの仕事でゲレンデ内を巡回して戻ってくると

隊長に「おまえ就職先どこだっけ?」

オイラ「御茶ノ水ですよ♪あの♪スキー用品がい~っぱい売っている所♪」

隊長「そうか・・・危なかったな」

オイラ「??・・・」

隊長「東京が凄い事になっているぞ・・事務所でテレビ見てこい」

オイラ「はぁ~?・・・」

・・・・

何が何だかわからずに事務所に行くと

テレビで地下鉄サリン事件の報道が流れていました

 

なんか・・どこか遠い国での事件の感じ・・

もし・・タイミングが違い事件が遅くにおきていたら・・・

もし・・出勤日が当初言われていた3月初めからだったら・・・

(スキー場との契約が残っていた為に年度初めからの出勤でした)

などと頭の中ではパニック状態でボーっとテレビを眺めていました

 

 

「人生の節目となる瞬間は、自分でそれとは分からない」もんなんだよ

っと支配人がオイラにボソッと言いました

数年前の映画『フィールド・オブ・ドリームス』の言葉だと教えてくれました

20年経っても忘れない言葉の一つです

 

 

 

それからの人生も一向に節目がわからず

のんべんたらりんと生きています(

 

身の上話

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